tadkgwのブログ

おもいっきり

何して遊んだ?

社員旅行に慰安という望郷を久しぶりに遊んだ。さておき、ABの端的は呪物か否かの非といえる、ジンメルほど知を博しないけれど、百円硬貨で鉄製ハサミと交換し同じ財務硬貨で馬れん藷芋と交換する価値尺度への素朴な疑問があった。お手伝い義務教育このかた天下の周り物ではなかったのだ。新自由という価値尺度の絶対に王権神授すら感じる。確かに霊長類という長ヒトは知的生命体なのだろう。創造主を想定する解像度も顕微鏡望遠鏡で感度拡張も羅針盤と火薬と活字印刷も数字と活字を信仰する羽目になる。もはや分離されていて、物象されるかされないかで分岐する。人気者であることのひとけは呪物物象への向き合い方を仮説の尺度として、あちらかこちらかに存する生き物としての感じ方と短絡する。あちらへの落胆で、ご破産算盤発狂戦争と資源としての素材欠乏の不均衡で素材からなる個体の維持も疑問視される現況なのだ。4百字詰め。解党困難な不可視の一人公民党の結社の自由への拘束という無政府統治装置主義を宣言した

珍事、たちいった

時間節約で社会学史の新書を聴く、マックスウエーバーを正剛編集に検索、言及の数冊紹介読む。地熱発電を動画で観る。バイナリー発電に感心する。国粋ではなくガラパゴス日本語星人としては、掘削技術者のことなど概ね大切と共鳴する。aXbYcZが生活様式つまり衣食住生業でabcが食育と芸と奉仕とXYZは専念率3で割切れない、協業が補完する。業は分業の行動で協働する結社の自由を基とする。そのへんのもので住するのが良い。小型の水力と風力と潮力が小生の本命ですが、太陽とこの島のエネルギーはかなり公共な気がする。誰かの描いたニュートンではないが近代の虚構がガラパゴスの愚直では範疇された文と理の系列として維新の余波が続く学際と無縁でなく角立ち。つまりその人工計量の大規模過剰生産が生み出され徒労疲労に費やされた、いまでも。日曜日が休日らしい教会に行く慣習もその宗教もアメリカンライフスタイルと不干渉でいても庭でBBQな欧米化は染み込んでいる従属国の黄昏。週休2日って自問?いつまで自明おわりに、地力本願なる言葉を思いついた。地は素粒子力と人格同一性よりなって継続されるとすると平等ではない、その多様が豊富を生むと信念する交流の充足が規範となる。国家より家個への自覚がこの星内島に住む叡智を育む、電脳装置と自動化機械奴隷が必然となるのか愚直な道具になれない人ならば。国家公民的道具な人間だ、いまはただ。だからこそ装備の継承からはじめるしかない。回顧展望がどこまでも、文化イノベーションを待機して調査開発移行保守が運用されていく。失敗を認めれないものには失望しかなく、虚無ではいられない坊主でないので空も無理な状況から。

差異と親子

Aと非A、Bと非BからCnと非Cnが育ちそこに差異と親子XとYからZnが育まれる。ABが受け継いだであろうものからCnは逃れられない。それが生計を一にするとか世帯とだろう、受け継ぐことの大切と協働はそれらの理解からはじまる。いずれにせよ30歳月が4周期で去りゆくものがいる120歳月くらいは限界としての前提で生活する。継承と循環の持続が共通で一般の課題なのだ。好悪と承認は相容れないことも在る。ここは100ブログで述べ600拝見してもらえるよう趣味にしている。J Krishnamurtiを再度観る。Observingが困難となった。言葉と時間に囚われる。思考と抵抗が自然じねんを遠ざける時間と概念が公民の世界、住民にその組織化が不要だが個体の意識世界という混乱、平凡を望む教化、差異は和平なのだが同調への恐れを引き寄せた。平和より和平への覚睡を意識変革の局面で気づいてる?自己組織化再教育が余分にあったとは、いかに。も、当たり前でなくて。

 

子供じみている

 oshoを通じて禅を再度見直す気休めである。恐れがないと続けてられない機械的効率時計の生活を営む。ドイツ通信第188号を読む。何処も同じ国民公民市民の割合で自治統治を観ると、臣民と住民に構造的二極化がすすむ。大国追従か自営自律か、大国追従は資本依存浪費奴隷必須で、自営自律は食育持続環境必須である。武器が浪費暴力道具で大国従属なのは自明である。もはや戦時下なのだ自営自律を如何に生き延びるかがさまざまに問われる。国民義務責任の選挙代議党派性解凍とこの星の住民の自覚活性合意形成対話へ表現理解が年度会計的博打債務からの離脱脱皮の引力なのだ。敵を知り己を知れば百戦危うからず。もう気候変動でお尻に火が付いてるって気付いてる。

「ゆっくり見たい映画」

Arrival 道具提供:一般文法論が対話を開く。時制のない言語が想像できない。日本語にもタ系として過ぎたことを静的起点とする。民族文化言語慣習の中で志向と表現の道具として言語があり、対話に到着すれば、相互理解と翻説明できる。都市伝説としてのカンガルーも未知で遭遇から始まる。おそらく誕生間もない未熟な人類が言語を獲得し思考するまでの未知とカンガルーは教えられないと異なる。日本人のアイデンティティなどというのも強要されるには、育てるもののそれを問うことから始まる。道徳情操論のようだけれど、もはや日本語星人の表意文字の少数種民族の希少性を表明したい世界が如何に深大でも実に権利義務の概念の前に道理の倫理へ散離して紛争回避して統治を内なるものに権力を取らずに命を得る生命をまつる。時系列の限界を超え全うす。感情に訴えられると困ること度々界隈の間です。悪しからず渡る世間が狭すぎる。

おもいでとおもいつき

関西イントネーションは抜けない。かつて日本語講師志向だった頃、イルカにもある方言なるものに傾いた。真田先生の社会言語に学んだり、そこで、くもとはしaccRadioを聞きながら。くもって雲か蜘蛛かなんて、人間以外に感心するのもいい。雲も童子なら何に見えるなんていうもいい、その生成過程に興味をもてば、いまや電脳に任せそう。橋と箸と端も関心が移る文化とか対立と反照の弁証なんて弄れてくる。物心やら幼さからの離脱は悲しい、道元的な求道やら老荘は東洋的なのかなあなんて感傷する。知らぬがほっとけですます、おおかたたいがいを解脱して遊ぶ。さて虚構の空想的思いつきの備忘録、フィリップ・グラスのレコード聴く日が在るかな。新札に日銀邦貨券が置き換わるらしい。硬貨も資源不足か財務も大変そう。それで、旧札を温存して日毎使用回収で循環持続させたりして、大震災後紙幣焼失硬貨を持つなんて人もいた。ブルー・アイズを観る何処も同じ線審国、類としての未熟日本語星人も片隅にいる。お金みたいにめんどくさい道具と言っていたユートピア小説を思い出す。現状の有色人種へ近親憎悪も異国への日本語星人逃避もガラパゴス独特の同調圧力緩和の怠惰で、この精一杯です。

虚構と存在

賀茂川耕助のブログNo. 1451を読む。簡潔に現状分析されている印象。年金受給までの逃げ切りを念頭に第二の青春を目論んでいたが、計画の前倒しを検討中。いずれにせよ商品製作では規模に関わらず複式簿記的呪物の従来の会社組織を出ない。クラウドファンドとワーカーズコレクティブな押し売りも含む商品ではなく必需品の確保のための活動生活様式へ宇宙に包摂された生命の存在基盤となる必需に中心の循環に身を置くことと文化の交流を通して相互理解の自由に翻訳の効く社会を夢想しつつ最長120歳月とその継承の活動を早急に目指したい。具体的に動けば具体的な結果を得る。いまからここからと言いたいところだけれど、もっぱら日和見である。そもそも新人類と呼ばれた世代の虚構と存在は意識のもとに在る。義務教育的識字を順応させつつ右往左往してたのだ、これからのこの星規模の紆余曲折に学習と言う慣れと肉体化された技能でサバイバルは続く、身体だけが資本であることは変わらない。すすんで呪物の成れの果てとその虚構を信仰することは小生としては文化として住んでる世界を異にする。単純には過去の遺物記録を記憶にする懐古趣味以外ではない。先達にはそれが在るのは否めない。さて、第二の2人称の虚構と第一の1人称存在の回路の中間形態として、絵本作家として虚構を制作する綱領に当たる原案と原初風景を空想している、生活様式の存在必需基盤も思考実験中、それが唯一の砦なのだ。ここでは絵は描かないから原案の格子ネタを残し始める、これからは、アクセス数より少ない文字で。大森風にkla.tvを聴く正直小生新左翼的出逢いを若気の至りとしているも、エンゲルスの同時代性限界を承知するし、呪物階級なる妄言の誤謬性誤謬という予見憂慮するが寧ろプルードンの発展的解消党派性に浪漫懐古趣味がごった煮になっている、いまや半農半芸と要約する。ちきゅう座お江戸舟遊び瓦版899号の抽象しているのも良い。自己への配慮と統治当事者意識のきはくが幸いなのだ。