tadkgwのブログ

おもいっきり

存在と文化

生命としての自己意識宇宙について、自然科学がニュートンゲーテで人間理性の近代的分岐とするなら、自然へ帰るのが無難。「G6」の使い走りと成り果てた日本語星人が悲しい。’語る主体とポリフォニー'を読む。気候変動は高度経済成長重化学に起因する。雪の語彙はエスキモーに豊富で雨だとこのガラパゴス列島だった。国家も構造主義文化人類学において浅ましき近代だといんげん豆も讃岐うどんも豊か実った交流と回顧する。ため池の先見性が有難い。化石依存も大概にしてほしい。若気の至りで自然言語から機械語へ逃避した小生は近頃はアニメーション学入門で対話の媒体と芸術交流に傾くのだ。きのうは言うまでもない生き残りの責務。手続き又は関数型言語での設計開発移行を生業として市町村合併などを最後に暖簾分け風の小規模農家を目指した。失敗後、日本語講師や職人を目指すも手遅れだったようだ。義務教育的な煩雑より家庭科的生活技能やらが有効だ。よみがえる空を観る。自動車産業ではないが義務教育的な識字率は協業に適する。災害列島の自衛隊も救難に特化すれば認知される。水滸伝三国志とか秦の始皇帝とか平板な史的記録でも度量衡の統一規格は協働に大切だと社会的存在の類として理解する。目の黒い内とか言うしがみつきの世襲は馬鹿らしく中央集権的権威利権も巨大な原子力を武器とした鉄砲で身を守る野蛮の追従では災害に無力で道理に合わない。関東大震災も百年以内だろうし、空の火器でもこれだけ危険な原子貯蔵庫を分散してれば、集中のテクノポリスと貯蔵庫への災害で木っ端微塵なのは言葉を待たない明白。せめて武力に費やすくらいなら、救助と避難の中立的居住区や医療技術も利害を離れて類として日本語星人の存在意義アイデンティティとなりうるのに馬鹿な代議も官僚も関わる気になれない。なげかわしい近代以降の田舎者の保身の成れの果てを思う。文化の廃れていくのが止まらない。

 

 

 

 

 

 

物化の核心

動画を観た。知の巨人、ノーム・チョムスキー!「ウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞」―全世界必見の動画!【日本語字幕付き】小生第一の2人称と第二の1人称とで書きっぷりが違う。第一の2人称は世間体とともにある、近頃益々人付き合いが悪い。第二の1人称こそ大切にすべき生き物なのだ。大なり小なり似たりよったりで世間体に疲れはててる。大局中の棋士の如く表情を消して、ただただ草木とかしている。小生第一の2人称を脱ぎ捨てるまで80か月くらい、よくもわるくも、もつのかなあ、このままで。寸劇を頭の中で演じてみる、アルミニウムはこうかだよとかアスファルト回収して資源として浪費してしまえとか内燃自動車も終焉が迫ったとか想像する。どの移動も空想科学たりえない。自らの知験で判断するには第一の2人称含め商品から離れる。要するに一国であれ連合であれ資本民主選抜の野蛮な略奪所有及びこの星の破局が可視化した現状、階級というよりそもそも債権債務の泥沼でしかない。多様な一人1党は自然と社会関係を人類の学びで崩壊から脱却への自由が砦となる交換の尺度は生存する全てであり生きていく私があることに本位があり分業と協働になにを大切とするかという類理解の成長が求められる。税金本位にしがみつくのは崩壊を加速する。家系的第一の2人称もそうです悪しからず。線審国家を論じるよりも非戦の自主統治意識が迂回陣地となる賃労働に頼らない生活様式の実践しかないな。食物自動化補完交易はいるかな。

 

「好きな街」

愚政回避の疎開論者、衣食住装備派としては、災害の少ない田舎ならどこでもいい。お金があっても地位が有っても役に立たない資源欠乏のガラパゴスでサバイバルでは、よく遊びよく学べしか思い当たらない。糸の切れた邦貨が当てにできないならBIも無駄、交換価値尺度と相互贈与交流によらないと生活もままならないとすれば、老廃物本位で食育文化ぐらいしか生き物としての循環協働が成り立たない。ため池がいるかとか夢想に明け暮れる、はやく自転車移動で十分な好きな街に住みたい、どこかなあ。天下り小役人でも話しの分かるのがましかも、AIのほうがましっだたりしてっとか。人災は怖し債務はもとより債権者も物化生存であるなら加速した資本主義にかわる類的世界システムが希求される動的均衡連鎖ANTを探求する引力が強くなればと期待する。現状納税者だから公務員的で、小選挙区だ清き一票だ言うも少子高齢化で人口比率で結社がリストラしないのは不思議で結社とか有名とか世襲とか縛りのある生存も困りものだろ。悲哀正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官を観た。先見性なき刹那なグレーゾーンありのガラパゴスの呑気さ田舎臭さが気に入ってるのかも知れない有色日本語星人である。新陳代謝は最長120歳月の生き物に共通する故、線審なき老廃物本位を素粒子物理として尺度にするのが普遍的無所有の建前と祖先も宗派も党派もなく結論している、共感できる喜怒哀楽の情緒とともに、辛いなあ幸あれ、なんちゃって。

同時代性

ラッツァラート,マウリツィオ〈Lazzarato,Maurizio〉に嵌っている。地球座ものぞき見する。とはいえ、主観的な主体としての空想は完結していて、破局と戦争の狂気には辟易していても、それからを物語して逝くことにする。実践を伴うだろう陣地を砦にするには共感と理解の同時代性を説明できないと現状で協力も困難。それが悲喜こもごもなのだ。正直に言えば、代議でございの内戦破局は嗤うだけで、有名に関わってられない、暇つぶしも程々回避できることとできないことが明瞭になる。やはり食育とその文化が大切、はやく疎開実践して破局対策を講じる。スローフードと物語の生涯へ無抵抗の美意識でありたい、芸は身を助く。害と既得権益の少なそうな田舎の移動少なめの生活様式へ。代議やら党派のようなものが債権債務で階級できない主観的な主体への妨害も邦貨と権威以外に何もない詰んでるからだろうとヒトとして同情する。危害もわきまえないと住人として実も蓋もない内戦状態です。バカ丸出しで取り繕ってるだけとは世も末。持続不能権威暴君として軍需化石で投了国破れて山河あり?ロスト・シティZ 失われた黄金都市を観る。時系列が平坦となった時代にインディアナ・ジョーンズのモデルを観て、如何に白人が幼稚で無邪気な子供で征服をとして社会化文明化と称し、単に記号と武器だけお疲れ、たかが知れた。もう機械で十分です。ほうふ、衣食住の知識と表現の自由の実践があれば、道具の進化と文化の交流があれば幸い育つ、人新世に知識の蓄積も機械化できる。さきの有歴の馬鹿らしさにお別れ、さあ回復に結束する終活これから。ただいま、なるべくはやくここ疎開実践からはじめる。妖怪大戦争を観る、霊も鬼滅も前世も並行も異次元世界も信じない見方と作りと伝え。

書評読み

ちかごろは時間も物もお金がかかる、節約に書評で立ち読みで。ユーラシアニズムと人工知能の核心を斜め書評読み、誰かに頼るとブラックボックスが残るからよいと言い訳する。松岡さんも羽生さんも何気に口調のようなものが知れてしまった慣れだろう。申し訳ないが、羽生さんの大局観と直感力は立ち読み、紹介密輸本は原則禁止で原書読みだけが唯一無二の向き合いだと書けるが、なかなかそうは問屋が云々と自説よがり。アニメ三国志3部作を眺める。一義的簡便、王族、1党独裁、代理傀儡の共和、民主と国体分類で基軸通貨圏とそれ以外、その組み合わせの統治。その実態と背景思想、背景には史的とそれ例外が在りそう。それ以外は深長で広大な多様に満ちているが資源物流は共通している、如何に三体としても四色で単純にしても地盤としてこの星の住人に変わらない。それ以外に降り立って重力を発揮する市民であるなら砦として生活様式の局所陣地に活路を見出す用意周到と実践覚悟を携えて付かず離れず自律するだけ。静的現状しか研究分岐できそうにない射程、空想と貧困を実感するも暴力には非ずよからまし。

再定義 Bruno Latour: Why Gaia is not the Globe

誕生以来線審である生存を自覚すれば生存する自在は自在の外に線を引いて内と外を分けるが自在自体は境界を持たないと再定義する意識が知覚されて初めて自由自在を堪能する誕生と認識できる。概念は複雑で矛盾と衝突を繰り返す悲喜劇に満ちている。線審所有の欺瞞への気づきがなければ、小競り合いから争いまで尽きない。問が後進に委ねられ、共に超えていくだろう課題なのだ。理解できないでずっと、おしゃべりが煩い、汚染気候変動の星でSTS。ところで、円安、原材料高騰、コロナ、ウクライナ3.0軍需産業の空費とその継続、人類はどこまで成長できない生き物なのか、ぼやきたい日常です。糸の切れた凧のような邦貨で、貸借と損益の算盤とは、笑い草で自営に活路を見出すしか保証も何もありゃしない、でどうする?自活問題。

Bruno Latour | On Not Joining the Dots || Radcliffe Institute

人類は人類をあまりにも知らない。数学の思想を一読、時系列な史的記録が平板となった故に抽象記号での概要も簡潔で先史を継承するのも教養趣味となった。ではイマからココからの実存についての前提がアクターズネットワーク理論としてデザインの方法論として方向性への視座として人類に要求される。不可視の素粒子も構成素として平板となれば自然対象の科学による影響は人新世代記で回避できない抵抗しないでは人類の実存も危険なのだ。ここまでがタイトルの動画からの私的要約。先見無想を追記。ガイアにおいて食育は文化として生活様式として情緒として大切だ。線審の放棄、海上に移民する、稲文化のような食を自動工場供給化贈与できれば一人一石は実現できる。この列島では米と通貨の二重化も過渡期としてあり得るだろうに、交易は豊かさのためであり多様共感の人類への理解度と協力を促すはずなのだ。表現記号としての日本語に感嘆する。収集所有なんてありえない商品がガイア並びにそこに包摂されるヒトを破壊するなんて文頭に戻る。蛇足、単純で難解だがフーテンの寅さんではないけれど、苦痛は有っても、少しばかりでも生きててよかったと思える瞬間があれば生まれてよかったと期待値だけで実存する、そんな今頃、さあ何しよか。ドクターストーンはどうなるのかな?自動車みたいな玩具に興味が持てない。当面は陣地戦の砦くらいしか思い浮かばない。限られて抵抗として、政治と市民の不可視の分離ぐらいの最適化しか残ってない、史的で実際、あまり関わる暇もないから排除無視することになる。その実践に幸いあれ!いずれにせよ税で贈与しても統治できないアトラクターにできるだけ依存しない、もう。