tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

どこまでも大金

低学年の頃、百円といえば、お小遣いとしては大金だった昭和の総中流と言われた頃、

明治を生きた祖父母の家は遊び場として最高だったに違いない。清貧だとかなんだとか

ではなく、金柑をもいで種をぷっぷとそのへんに飛ばす、贅沢だったのかも。小学生の頃は校庭のくわのきにのぼって木ノ実を食べる紫になった口周り、農薬散布の禁止令なんかも懐かしい、無花果にはかみきりむしが胡麻髪切りとか細かに呼び名もありそれなりの昆虫博士がたくさんいた。百円で煎餅がいろいろ買食いできたり、コンパスを買ったり、プラスチックのいくつかの三角定規も、家庭科の裁縫の消耗品いととか、貧乏物語なんて読んでなくとも、価値形態論なんて知らなくても、かいものの素朴な疑問でみちていた。つまり、なぜ硬貨をためて駄菓子屋へ行っては交渉するのか、まけてもらうとかが日常に遭った。おつりはお手伝いのご褒美だったから、今や丸めてポイントとか工学帳簿らしい。小銭を握りしめて、固めるとか崩すとか、高額硬貨とか少額紙幣とか

なんともし難い現状で時流の概念記号操作に長けるとか、高給取りの税理を目指すとか

好きにしてくれ勝手にしてくれ、みてもみなくても喜ばしさも人それぞれ。縁側で戦争に二度も行った祖父が年金の乏しさにさみしげだったのを思い出す。悲喜こもごもに暮れる。自分の感性ぐらい。

 

くらいどり

ひきこもごもに

おりなして