tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

基本的人権

法哲学の学徒ではないが近代的法への根本的疑念は所有という財産と基本的人権というヒトと星の分離である。素粒子の結合力が所有を維持している、そこにヒトと星の相違を認められない不可視の動的均衡の内に在る。風土の差異は豊富と理解の拡張を促進する。それ故、価値尺度と暴力が装置として社会システムの基盤に立法の分立があるなら既得の財産とは何かが問われてしかるべきで文化と生活様式の風土を均一にできない自明では既得の財産に縛られたヒトにしか成れず略奪収集を生業とする洗脳が虚栄と共に盲目へと誘う。自己規律が大切で、隷属的存在は自動機械化で改善すれば、分離の上の法的ヒトを演じることで、予め退化する生き物としての嗅覚のようなものどもに注意することを待たない。そこで自らが律を規するよう育つように偏見という常識に知識の累積と抽出継承の非所有が生じる。今後は賭博的正確予測の生産という投下成果の効率より命の発生循環が礎となる文明の生存が追求される。隷属的商品としては可能であれば自営への退去が交響の場の再生が公民の市井の生活として築かれるよう、それが持続可能で尺度装置の見直しから失敗に学ぶ近現代の責務なのだ。先達が残すものは準備反省からの装備だ。回復が次世代の課題なのを釈明できない従順な公共のヒトだったとは言い訳できぬ盲信なのだ。どうように知ることと知らぬこと分かることと別けることから