tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

現時点での今年の漢字 新

新しい年のはじまり、今までを刷新する。とはいうもののかわれない自分がいる。

なにかしら新たに試みるにも何かが見えない。

無事であることがまず大切で、無事であるにはかわれない。

自分が何か具体的に行動するなり、その準備に当たれば具体的な結果としての新鮮な自分が現れそうにも思える。

昔から思いっ立ったが吉日という。それでいいことばかりがあったわけではない。

10年で児童を20年で青少年をへて、その30年間で祖父母や父母の背中に教わり継承しつつ成人として遮二無二世帯主たらんとしていた無理もできた挑戦や若気の至りの企てもへて40には親大人として失態をさらせなくなり50はあっという間で過ぎ去っていく、教え継承するには予め失われた物が多すぎた。

暗中模索の中にある我と我が身なのである。もはや何も言えない、失敗談ばかりが記録されていく。同時代性というにも短期で且つ過渡期のように感じている。

あらためるにはどこからか、もはや振り返れない。変貌を遂げなければ今年の現時点でも将来にたいするぼんやりとした不安は払拭できそうにもない。

なんらかの指針があっても、それは確証ではない。向き合うべきときが訪れている。

そう将に<新>なのです現況が。日本国で識別されて、その被識別が受け入れがたい制度で成立していても、同一にここが銀河の片隅の未明の火山帯に沿ってある島で宇宙から見れば極矮小な場所での営みで知的と言えないヒトが犇めいている極めて稀と思われる境遇ではあっても、反社会的とみなされても、もはや陣地戦略を練らなければ、折角の有様も台無しになる腹面従順にも程があると未開の識別を脱して新しい視座がここでは不可欠ということに尽きる。蛇足嘗て新人類などと呼ばれていた世代だったようだ。

南海トラフ巨大地震は2038年ごろと仮説すれば、後15年で対策を企てて生き残りの陣地戦略を識別ツールの元で実施するよう。阪神淡路大震災すら伝承できない、ましてや大戦争をやなのです、追体験も共感も埒外で、所謂、馬鹿な公助は問題外なのだ。

阪神淡路大震災で元家族とその居所が喪失したと覚しいが、同じ頃に起きた新興宗教の事件で中央集権大本営的報道の当事者忘却に流されるにテレビは置かなくなった。リエンジニアリングの流行に平坦化する組織と分散化の利点に密度と集中の危険への道程が併合と集権の効率でしかないと判明したときには、行き詰まりの露呈と認識した。生きているのは自分だという確信しか残されていない。

夢話を糸口に、食事どころでポップコーンとパンが並ぶショウケースの片隅に昔ながらの定食があって、店内には料理人らしきが余りいない。労働市場のグローバルは料理すら製造業で大量生産の配布チェーンとなってもはや定食すら時短なのだろうか、地政的にここでは大企業の製造生産の量産配布浪費は適さない、自分がそうではないのだよ。