tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

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蛇足加筆:rgともに零に近似させ持続できれば、自足する類となりうる。Gを零に近似させるとw<>Wで持続する類となれば、自足する循環共同帯となる。先人となったことで資源の浪費に感けたと詫びる、そして、装備を整えることで後進に報いたいと切望する。非と認めることは継承しないのが残された途だと反省する。2038年までになんとか目途をそんな現状だ。拘束とは身体を伴うということであるとすると、からのはなくへの自由、生存する力が唯一、力を問う多様が滑稽にも悲喜劇にも看過される。その生存を悲喜こもごもに感じうるところ幸いだと、それは刹那の一回性の必然を活かすも殺すも主人次第、唯一の力と記述は、悲惨条件付けられていない当事者だから。

隠居生活

結論:統治者税制赤字の邦貨に依存できない。よって自己意識で規律を探求すると、まず要らないことばかり知らされるテレビを持たないことから始めるのが大切です。つぎにエネルギーと住処と食べるものと趣味としての興味追求を生きる意欲とする。その態度所作姿勢は隠居生活にならざるを得ない。早いほうが幸福だけれど、かつての冷戦期新人類は定年隠居つまり6年強後に生活様式を遷移する。歳月予定人間は愚かだと自覚している年度会計に慣らされてしまったと白状する。外貨としての邦貨を最低限稼ぐしかないのか、付加価値加工商品貿易黒字なんてどうでもいい内需の空洞が止まらない。商品には外貨がつきものなのだ、もはや難しいことも封印したい。そう絵本にするか

言語

母語が使えるとして、解する文字を分散させる。文字に優劣はなく、記号道具として消滅してほしくない。母語の消滅村落は文化の絶滅と了解している。伝統慣習の影響を排除するにはヒトは歴史の時系列から退避するのが困難で未熟に生まれる生き物だからだが、しかし、だが、時系列史の抽象は記録としてフォーマットにて記号道具共々時間というユニークな人工資源で統計的期待値を提示する。これによって定点観測で現状分析から生存遺伝子であり続けたのだ。専ら消滅絶命の中にいなかったから、こんなブログも嗜む。ブル嫉妬ジョブだとか産業とかいうけれど、生存は食育なしにはなく、活動として分業することは逃れられない。情報としての母語が探求対象を共有合意形成とその表現拡散に供するのは心強い。ヒトの知覚で図形や奇跡が文字以上に共感度が高いならば表現意思疎通として道具すら進化する。食育と道具が文化的生存たらしめる。文明や線審秩序は先の形式化の諸問題として絶滅危惧と要約できる。自らを対象化する対象に帰着させるのが無責任である唯一の方法なのか自己規律の律令なのか、名前はまだ無い

南蛮貿易

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故郷の生活様式

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生若老病死

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征服王朝におけるサバイバル主権、在民実装の問、政治と市民生活の意識分離とその装備様式これを文化としての文明と俯瞰する。

中間形態

主権はタイトル中間形態の生き物にある。資源が投入発生され食育され再生持続でき老廃物資源で返す素粒子物理での境界も不可視でも生き物は主なのだ。これまでは、ベン図的に識別子としての他にある領域Aと識別不可能な自にある領域Bで第1の二人称に社会的振る舞いを領域Aで負担させていたが領域Aと領域Bでは中間形態の主権は表現できない資源の投入排出の循環こそが肝で非邦貨清貧というより文化的豊潤という生活様式とその装備の保守運営を共有する類でありたい。なんとかの香りの石鹸を使うこの星の劣化と嗅覚の鈍化が循環への配慮を欠いている、という自覚がこの星に居住する権利義務なのだ。中間形態の充足は空想を表現できることによる。それで活力とは?中間形態の充足というも中間が内的対象で拝中の非対象は宇宙内的対象であるこの星であり、その再生持続を幸いの豊潤充足の探求活動が協調の要である。貨幣が役割を終え、沈没に道連れにされる前に避難民としてグリーンフロートに移住したいが形式も構造も経ても田舎独立は閉鎖境界を前提とする人類の学習でしかない、まずここで自律する自己完結と装備継承の最適化の知識模索が追求するに足る。成長過程ではなく幸福発生だろう。