tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

課題妄想の民度

競争絶対一と共有共存の雑多の民族国境の落とし所は絶対一神では競争の借金創造主義の無理が5年内に訪れる、もはや無い袖は触れぬを承知すれば終局する露ウクライナも終焉する。だが、ガザは不明だ。寛容さの問と言える。話変わって、所有と好気の人工知能との差異が要で自己の教え育てるはぐくみあいと触発し合う相互の行為主体だあり得る類にならなければ、専門性のある職は人工知能に置き換わる。フレーム問題を仕様を入力すればで抽象の記号運用の知識の累積も指数関数的に専門特化できるから、ミニマムの交換価値を配布して身体性の所有を動的均衡の量子の戯れで貯蓄性のある実体のある素材資源はあり得ない、発生創造の行為主体として空想力しか残されていない。

からくり

縦横無尽枯渇

頭の中で世界を遷移させる。何がどう起こってどんな風に転じて序破して実を結ぶ。その空想の現実は理想的で幸福な気分にさせられる。時既に遅く夢やぶれて短絡すれば気短に諦めているばかりで、全地球史とか宇宙の規模で眺める気になれば、類としての絶滅が恐竜よりも明白で科学文明の先で文化のごとく民族の村から出自しても尚、記憶も記録も断絶の果で改めて始まるとか、小生を含む類がどんな生き物に取り替えられて荒廃を跳ね除けて又は気にもせず、やはり最早理解の外の異なる世界だ。擬人化も及ばない、制度の規律も理解の賜物で、ややもすれば税でお任せの奉仕の恩に報いる大衆が殺伐と組織化される認知のせめぎあいの中で、そうとも知らず明日も知らず右往左往。

陣地

アメリカの再興(American Resurrection.)——ロバート・ケネディ・ジュニアの無所
属立候補宣言と負債論を知る。この島国は植民地で代議統治者らは資本崩壊に向けてかつての帝国への帰属を、そして日本語で恐らく表明できうる既得な脳天気を日常としている1920年からの起原を。貨幣現行で国家通貨と金融通貨、管理権威が異なるも所属の属性の相違だけ発行権利を有しても尚覇権と強奪の暴力が野蛮に跋扈する。それで文化文明やら知的生命と概念で差別化するも国の家の際で金融の概念工事に民族も言語も慣習も際を捏造調教の末、元々も子もありゃしない。最早配給資源も通貨と制度に見合わない、浪費は続く何処まで?2038年の災害と首都直下の中央集権破滅がやってくるまで、世襲と既得継承の持続可能な短絡で一喜一憂の賭博に染まる。

自閉または説明不要な

古典で書物が幼少期では予言で以降は確認である旨があった、以降が怪しく教え育む装置がどう機能するのか保守と革新とか上下左右の分類を社会規範行為主体も包摂する抽象の記号操作で簡便へと向かうにも生き物としての退行が勘弁ならない能力の統計で中央値に入るのを常識という偏見の塊で超弦理論の統一場の普遍の等価を複雑の相似への排中律の均一でないことの賛美の不可視の無の有りかを問えば理解拒否の自閉の内に説明不要な領域が共鳴されていると道徳的に表明断定を避ける。すると芸能の表現力が対の幻想の中に想起し合う切磋琢磨な対話が生じている。関われないと歎く諦めるなら観念するしないと併存で合同する協働を模索しつつ自律の制約を市井によって生活す。

あい

beatles now and thenを聴き、OPENAIと商品の広報、実体と素材の必要と争奪の間に我らの限界と外的対象の不在の連環の成長なき仮説の、其の誤謬性の虚構への没入が来し方行く末の範疇の界隈設定の足場を刹那の永続の普遍の理想を装置の実装の要と保守運営の領分の限界条件付けの不可避を不定不能の不可視の輩はその行為主体の足りない智慧で完結させる。名目の擬態税統治の時代錯誤に代議の仮呼で自覚される。集団の類の限界は選ぶも選ばれるもなく失策の必然を歴の連続性の文化民族の未熟な自らにも露見する。借り物の所有なき継承も見果てぬ地平の荒野にいて青年のごとく死滅を知らぬ成り行きのたまたまに前途も途上も分からない生物だ。

アイスランド地震発生、ココも地震列島で周期予測で先日付の身を守る準備して、2038年には64ビットの桁溢れ西洋歴もある。投資もお金も技術もせいぜい今だけ。もう既に水で移動する装置も洗剤不要の洗濯機も太陽光温水器もあったし、DIY台所も輪作無添加食材と其の医食同源な調理も毎日の旬に備えれる、寝食の道具の装置は年代を超えて継承循環の運用工程も250年周期で順送りできよう都市開発の外がいい。通貨発行の消滅は老廃物の連環に代議の奉仕もインフラの陣地戦の奉仕も統治の歴の無意味で終焉させる。軍産複合やお祭りの浪費の愚も付き合ってられない。米タンパク源の収量効率は優れていて一人当たり約40坪で年間消費をまかなえる。覇権の終焉。