tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

貧乏物語

青空文庫で貧乏物語を読む、道具の発明によって禽獣きんじゅうの域を脱し得た人が?、機械の発明された今日、なお貧苦困窮より脱しあたわぬというは、一応は不思議な事である。しかしよく考えてみると、不思議でもなんでもなく、実は有力な機械というものはできたけれども、その機械の生産力が今日では全くおさえられてしまって、充分にその力を働かせずにいるのである。物を造り出す力そのものは非常にふえているけれども、その力がおさえられて充分に働きを現わさずにいるから、それでせっかく機械の発明された世の中でありながら、われわれ一般の者の日常の生活に必要ないわゆる生活必要品なるものの生産が、著しく不足しているのである。というわけで、社会的共通資本を強調したい。宇沢弘文さんの意志のもとに熟慮された。史的教養ではなく記憶と記録、自然環境(山・水・土壌・大気など)、社会的インフラ(道・橋・電力・鉄道など)、制度資本(教育・医療・金融・司法・文化など)という3つのソーシャル・コモンキャピタルを横につなげて護りたい、それらを発展させたい。が、人間が自然環境で社会的インフラで制度資本でもある。さて、人間は自然に包摂されている。熱量は太陽からくる惑星環境にある間に、熱量が太陽から得られるうちに適切な機械をここの資源から装備する制度資本の文化は教育・医療の食育と自己教育の分業と協力の交換で興味と趣味の文化、知識の累積は有力な機械には劣るも、充分にその力を働かせるのが人間の生活文化で、継承の問いが自己教育の分業を担うのだと即かつ対自で結ぶ包摂されている自分。