tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

虚構と存在

賀茂川耕助のブログNo. 1451を読む。簡潔に現状分析されている印象。年金受給までの逃げ切りを念頭に第二の青春を目論んでいたが、計画の前倒しを検討中。いずれにせよ商品製作では規模に関わらず複式簿記的呪物の従来の会社組織を出ない。クラウドファンドとワーカーズコレクティブな押し売りも含む商品ではなく必需品の確保のための活動生活様式へ宇宙に包摂された生命の存在基盤となる必需に中心の循環に身を置くことと文化の交流を通して相互理解の自由に翻訳の効く社会を夢想しつつ最長120歳月とその継承の活動を早急に目指したい。具体的に動けば具体的な結果を得る。いまからここからと言いたいところだけれど、もっぱら日和見である。そもそも新人類と呼ばれた世代の虚構と存在は意識のもとに在る。義務教育的識字を順応させつつ右往左往してたのだ、これからのこの星規模の紆余曲折に学習と言う慣れと肉体化された技能でサバイバルは続く、身体だけが資本であることは変わらない。すすんで呪物の成れの果てとその虚構を信仰することは小生としては文化として住んでる世界を異にする。単純には過去の遺物記録を記憶にする懐古趣味以外ではない。先達にはそれが在るのは否めない。さて、第二の2人称の虚構と第一の1人称存在の回路の中間形態として、絵本作家として虚構を制作する綱領に当たる原案と原初風景を空想している、生活様式の存在必需基盤も思考実験中、それが唯一の砦なのだ。ここでは絵は描かないから原案の格子ネタを残し始める、これからは、アクセス数より少ない文字で。大森風にkla.tvを聴く正直小生新左翼的出逢いを若気の至りとしているも、エンゲルスの同時代性限界を承知するし、呪物階級なる妄言の誤謬性誤謬という予見憂慮するが寧ろプルードンの発展的解消党派性に浪漫懐古趣味がごった煮になっている、いまや半農半芸と要約する。ちきゅう座お江戸舟遊び瓦版899号の抽象しているのも良い。自己への配慮と統治当事者意識のきはくが幸いなのだ。