tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

落書き二軍のTシャツ

<書評>『都市残酷』ワリス・ノカン 著を読む。賀茂川耕助のブログ:日本の主権にとって良い状況ではないも読む。現状の持続と当事者の周辺の平穏を望むものが多いらしい、気づかないふりと管理慣れに小生は行き詰まる。日常茶飯事やギャッンブルやスポーツやらに傾倒没頭できることに不思議を感じ、自然と何故が妄想を誘う。契機は数多在る、大震災しかり。阪神・淡路大震災の折ボランティア販売のチャリティシャツどこかに在る。同じ年のサリン事件で忘れられる報道でテレビは置かなくなった何年も前からずっと。蝉が鳴く、小さな穴から地下生活をはいでて、木樹から養分摂取、放射能雨ニモマケズ変態して食物連鎖の過程でミュータントは生まれてないのか相変わらず喧しく。子供らの遊ぶ声を遠くに聴く。mRNAワクチン接種でどこか風変わりしたのも無自覚なままで、無意味なマスクの習慣、先のこと疎開や亡命は考え込まず日が暮れて

USAは一番に追いつき追い越す相手を叩く言葉も知らぬ有色人種に覇権を奪われるのは異なる世界を発生させる、恐れて暴力に訴える徒党の奉仕を募っている崩壊破局の跡目

月とmoon

生存と利害、誰かさんは月と呼ぶ。呼称と伝承と知識と解釈は千差万別のバリエーションの豊富です。しかしてその実体は存在していて観察者には無頓着と擬人化して傍観、破壊されたら当事者の外的存在らしく表現される。何者にも代えがたい唯一無二も在る所と有無の解像度の勝手です。予算に縛られた行動では、ひょっこりひょうたん島も生産できない。避難民のカテゴリー差異分別は性差を度外視すれば最小値は4色ぐらい、数万人単位で棲み分け共有の装備と自動機械配給で不要浪費がない機械装備の運用保守は知識技能、亡命避難民の交流が豊潤を生む、基盤の生存権の上で文化差異の許容範疇が多様の寛容と循環物としての意識は軌道昇降機の共有運営も争点にならなくなった。単一の信仰は排他の劣等感性と排斥暴力の根源だった文明も崩壊したまでの話、虚構仮説の思考実験拡張と相似移動の柔軟な合同定住が模索される。機械装備の運用保守は贈与奉仕と寄付先選択です。垂れ流し破壊的商品浪費に望郷の念もあったりするのか?焉んぞ共同生活のしこう様式なのだ。それは既に在ると仮借できる。厭世のヒト生命体の限界設定も不可知論者の憂鬱、人間主義の優劣評価も唯名の如き所有感の為せるわざか虚しくわび・さびしてる。一所懸命さへの共感くらいは持ち合わせても関わる気に成れない本音と建前でやり過ごすも、生き残れば官軍と解釈か。柿本人麻呂遣唐使のまま帰国できず大陸で消息不明、歴は過ぎ去り謎に満ちている空像を想う。賭け事も未だ来ぬ先もどうよう。現況を分析して傾向から道理の推論で対策を練るイマが在る。一方ならぬ影響を大陸から受けた。島国で定植するその枚挙の例え、仏教、稲作、文字言葉、史実記録、暇がない。計画社会と私的所有、参加の自由資本経済、相いれぬものがこの唯一の宇宙船地球号の共存勢力争いが続く、覇権統治の分断のまにまに学徒の漢字の起源も置き去りに活版印刷の量産流布普及と既得の表音記号が目糞鼻くそ笑止千万、ccadioを聴きながら、輪作の農法を寝転んで読む、棲み分けたいものだ。化石資源由来の石油化学商品を分類する無償の奉仕に疑いもなくマスクする、それが世間体。虚構と空虚な想像に生きる創作意欲だけで妄想の平和と実情の乖離、持論も尽き収斂もない?

「マイベスト家電」

家庭内電化製品は全て機能的である。従順に規格準拠で人型でない機械だが愛着も持つ道具です。電気エネルギーさえ与えれば商品寿命サイクルで酷使できる。パーマンではないが代わりに移動して奉仕して納税してくれたら電化製品として大切にするだろう、自動運転と電化修理で階級も報酬もどうなるのかな。商品寿命サイクルが課題だろうと夢物語、所得とかが寄付贈与のような、分け合えば余る奪い合えば足らぬ家庭内電化製品も共有度合いの時分割の当番とスケジュール管理で暮し方の良し悪し、不平不満は使用者のマインドフルネス次第。中身のない会話力で表音文字に付き合う有色人種の対極は表意文字メラニン少ない進化系が克服できないで暴力しかないみたいな。では自己責任の所有機械も生活様式の範疇なのか。ポストコロニアル近代を紛争解消後を気候変動の如きも、生成移行がのっぴきならない。宇野とは違う宇沢経済学者もバックミンスターフラーアーカイブスやら電脳AIとのVRで対話できるのか、偉人も生き残りには、必須生活様式の指南相談役なのだ。

 

パソコンについて思うこと

linuxを使うパソコンだが、msdos的擬人化が機械に浸透していて困る。時間軸は空間把握と近代自然科学的擬人化道具で便利だが、何故キリスト起点を追従するのかオブジェクト指向存在論命名ありきなのか、解像度と識別概念は擬人化機械の簡便に不可欠だろうけれど限界設定も付随するアプリ層に幽閉できればと観念する。ハイテク依存が止まらないからなおさら、エイリアンもゾンビも流行でアトラクション侵略を映画鑑賞

温泉大好き造山帯では地熱も有効、ワクチン接種やロックダウンで従順にも限界を感じた昨今。中国はウクライナ戦争をめぐる西側の対応をどう見ているか?北太平洋条約機構の民主主義陣営の結束演出、さて所謂西側線審国G7はIMFNATOありきの年度会計の先物賭博の取引契約の上で動く民族至上やら血統伝説やら福祉分配とかいずれにせよ軍産複合体と負債通貨発行で近代虚構の持続復元に疲労困憊の世界システムで新興G8とイスラムとで経済システム争奪の虚栄には良策はない。現行からの移行が世界システムに求められるが、いずれにせよ防衛と暴力での対立では共倒れしかなさそうだ、立場世代論は置いといても現状打破に崩壊加速で対処するに、包摂寛容のマインドフルネスの陣地へ拘束されるのが世間と隠遁の不可視の境界線の縁側でやり過ごす厭世かも、修行と実践が足りないと自覚する。移行先世界システムを仮想空間で共有知識の合意形成も寄付の行動規範で学び会えて交流できれば豊富への脱皮も模索できそうだと楽観する。そんなプラットフォームも対立隠蔽閉鎖で出し抜くもの敵で友好もないのか、前提もなく唯仕事の取り合い覇権争いみたいな絶滅の種で関心しない。democracynow.orgで「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」 

ナオミ・クライン新著を語るを観る。もう驚かない自衛装置陣地と協働砦へ向かうのみ

「戦後秩序の展開」無常

刀狩りと明治維新で帯刀しなくなった。スターリンプーチンを類似するのは単純化壊滅、白井聡の講演を観る。冷戦期の暴力は帯銃せざるを得ない場所をきょうかしている。G7の端で領空権なしで敵地攻撃とは狂気の統治だ、新G8がマシに思える。疎開と亡命と自治の他は思い浮かばない。幼稚な原発事故このかた諦めとの共存を模索する官吏は強しで済ましてられない。戦争に数回参加した明治の祖父母が唯物論でひどい目に合う知識人を語り、年金の少なさに悲嘆していたのを思い出す。父母は男尊女卑そのままに戦争に行けずに疎開していた、心中は計り知れない。小生は政権に関わるのもさわりが在る気になって敗北従属誤魔化しのマスクしている。目糞なパワハラ無反省草。

内側から変わる交流が文化希望だ。武器覇権は至上というより野蛮な暴力、代理戦争に加担して武器所持では暴徒となる。第一次産品も言語も通貨も強権にする滅び文明異常

ようやく

単に東京新聞、地球座と賀茂川耕作さんの要約、ようやく年度会計の基軸通貨隷属から脱却できそうだ。故中曽根以来の新自由主義の戯言が崩壊する。Z世代ではないが、「新G8」、中国の「3つの輪」と出会うに期待する。共産主義も認めないが、世界平和アピール七人委員会は6月24日、「平和国家として歩む――軍事力増強とは異なる道を――」と題する緊急アピールを発表した。結社の自由も生存権も不文律だろう。とりあえず和をもって尊しとなすで十分だ。状況にじゃれたフリーターだったがもういい。活字統計信仰にもうんざり。ヒトは間違うことも在る、それは当たり前ではない世界で。kla.tvを観る。第一次産業という分類も理解に苦しむ。共産も資本も主義では、ヒトが外的対象なのか、そらシジョウな滑稽ヒューマン。

インターアクション

メタバースで仮想空間が創造されるならば、世に蔓延る陰謀信者の世界観も、所謂西側世界も反逆者も一望できるだろう、ところがもしそれが仮想の空想であるにも関わらず現実以上に現実ならば逃避先になりえない、実際の失望を避けられない。解決の課題も破棄されたまま、いずれにせよ擬人化の成れの果てで、荒野は荒野で有り続ける。欲望を満たす前にグランドデザインの想像力の貧困と歴史時系列からの解放がありうるのか。アバター人工知能搭載の擬人化機械すら生息する。現実の統治が陳腐化する。覇権の行く末も透過できるだろうから、メタバースからのインターアクションが変貌をもたらすのだろうか、時間の問題か焚き火にあたってる気分で明け暮れることだって、法哲学の再考と人類学の文化的探求が並列していくのか。そうこうしてても生態系の救命は差し迫った問で、生存と生活様式の見直しと共に、装置主義であるのは変わらない。Thich Nhat Hanhが亡くなった、方丈記を読む新規就農に挫折して、朝新聞配達120部以上を思い出す。至上主義の殺傷能暴力も半至上主義も在庫を消費する商売が伴う、SFでロボットの市民権とか読んだが、ロボットは人型である必要もなく労働力として至上のための自動化と隷属機械で良いではないかと国際取引も税収依存もヒトの生存だけで捉えれば要らない複雑骨折ばかりでsmall and simpleとはいかなるものか想像する先の大戦から百年立っても変われない野蛮に呆れる。USAは台湾に武器を売るらしい、威嚇は中国との衝突や日本が地位協定のUSA武器購入でウクライナのような危険が迫る、人生万事塞翁が馬という悲喜こもごもだが現状は悲惨ではない日常、挫折も失敗も経ていまここなのだ。極限状況を亡命も疎開も忌避するのは無きに等しかった。商売繁盛ヒト殺してもは非日常です。