tadkgwの雑多

おもいっきり311文字

跳躍と足元

明日のことは誰も知らない。けれども、予測に基づいて展望するしかない。所謂希望的観測です。例えば、年金制度とか株価の先進国的資本とか、十年以内に隠居的半自給自足を目指すにしても、現状の複雑便利なスマート都会とその制度への依存を脱けて行く

にしても、影響の中にあるだろう調整は避けれない。自身の嗜みを充足させつつ歩んでゆくのみ、その中で一期一会もあろう、そんな微妙な情勢遷移の足元なのです。どれほど跳躍しても所詮、人の生涯の範疇です。残せるものと継承するもの、その相違が世の中の常なのかと、変わらないのは、喜怒哀楽のこもごもでしょうか。合理的と理に適うは、難題で説明対話で断捨離も良いかもしれません。それではこのくらいでお暇です.ここで私有という所有は生存中の収集と消耗と換言できよう。それは概ね広告されたものへの物神崇拝のようで、かくいう自身も識別項で罷り通る。但、その識別項に特異な属性があれば一般庶民になれないと推量する。二元論や魂など不可知で精神と肉体は一束に場所をとる。果して識別項も利己的遺伝子ならではで、日常の生存も代謝なしではあり得ない。自身とそれ以外の境界は存外不明瞭なはずが、識別項が自身と思い込むことで広告されて社会化しうるのだろう。たとい十人十色の差異も俯瞰の抽象で目くそ鼻くそほどで十種を超える生活の糧が仕事量でエネルギー換算されていてもそも経過はともかく自身の維持が生活と言えるだろう。難題や不明はさておいて嗜めるうちが有限の今で、いずれ無に帰して自身からそれ以外の境界へ消滅するまでのことです。