「これから住んでみたい場所」
都市化の計画がなく、史実の上で災害の少ない場所に住んでみたい。保険やら移動とかインフラ老朽化も気にしないで済む局地で陣地をこの島で日本語星人としているためだ。例外はグリーンフロートだけだ。労働と所有の分離された商品の人工世界では、全ての分業が公共性を持つ働くのは奉仕で納税義務とやらだ。自動車という加工商品の分業にあたっても自動車が所有できるわけでない。ブーバーを立ち読みして、考え込んで一神教でなくとも主なるものがあり、万人が近代以降は通貨の奴となっている階級などと言えない税の下僕と大衆で、すべからく商品化した通貨という物に縋り付く。分業という働いて得る成果を収集浪費している、家事とか芸術とかの生活の活動は発生させる何かで生産配布消費のサイクルと異なる。インフラ整備をオフグリッドすれば、税収下僕との接点も少なく市井の食育に注目すれば勤労責任と一線を画すようにも成れまいか。日本語星人として邦貨の必要と例外的に貯蓄性の在る商品とどう向き合うかが課題なのだ。研究開発的な非生産かもしれぬ。日の出から日没までは純然たる太陽からのエネルギと普遍でみて生態系熱循環の活用以外は貯蓄されたものや核によるものだろう。核活用するには野蛮な生き物なのだ。ラツールも未読だが、アクターズネットワークは基本的人権を超えた包摂を感じる幾分東洋的な、虚構の近代とは自然へ変えれのルソーを三権分立のロックらをスミスの感情教育論へ分業産業な国富論の前提へ戻す。通貨と翻弄されるヒトにならないベーシックインカムも税と産業の功利の配分に過ぎず保身の通貨発行権の覇権にすぎない寧ろ純然たる老廃物本位の大衆による交換価値の道具とその贈与による発生循環の用に並行させる陣地と食育文化の知恵をもって情緒の育成を目指す我々は宇宙の包摂の命でしかないことに気づくよう虚栄好きの保身覇権権威をほうちして自己規律の充足成長が脱近代と確信する。奉仕の勤労はあっても、芸術の中身は所有と営みを分けない。よってそれがたといプロデースされても内容が問われる活動となるために空想が唯一我らの砦となりうる。虚栄の刷り込み大本営報道の無味に教育されてはならない功利は何のためかこの星が破滅する前に次次世代に期待する。馬鹿らしさを共有した次世代も悲惨に目が覚めたと期待する。アホな逃げ切り世代だった手遅れになる前に装置主義を目指す崩壊が加速して歴史の終焉もちかい。歴代を超える次次世代に希望を託す。権威覇権の線審の行き詰まり間近の現代にて。人工商品で味覚も嗅覚も五感の解像度内で虚栄の刷り込みが盛んで寿命を持ってマイナーモデルチェンジで産する浪費、社会と共助には人材も派遣もなく資源の浪費は枯渇へ進む我らが再生していくのもままならない制度組織だった。日の出と日没が時の全てでなんらかの浪費の時が刻まれているのが国都市過密と移動の帰結なのだ。非生物に勝てないのも無理もない。現代改SDGsと言い換えても地質年代人新生代、採算似合う化石燃料の枯渇が2050年2025年で年度会計財務省バランスも後期高齢劣化制度、2038年には気候変動自然の猛威災害、復興も無理、そもそもごみ分別協力よりごみ分別の必要ない大量浪費が問題で一国社会の独裁での社会科学ならばスローフードをロハスなんて言い換えて目先を変える愚が通用しないだろう。線引きに現を抜かすとは放射性廃棄のほうが負債より手強く人の手に余るのに塩素やら何やら汚染水の人新生代を保身するのが未来へのつけなのだ。我が世代はせいぜい装置陣地で邦貨依存を軽減して半農半芸に勤しむのが大衆的市井の生活様式ではないか。2025年2038年の後の世に継ぐナウ。江戸時代でもあるまいし1600年群雄割拠キングダムでもない生き残りの成れの果て跡がない俯瞰するまでもなく維新なんて近代な地質年代、先物賭博で年度会計邦貨依存人工大量浪費な非循環の義務なだけ、普遍にも程遠い組織制度。もっと人文社会科学のパラダイムシフトを。